暮らす×働く×学ぶ×余白〜物理を超えて地域のこれから〜

 工業化で工場が建ち並び、都市化しサービス業が進み、人が集まり暮らしている。私は子どもの頃から産業地理が大好きで、その土地土地の地形や自然環境を活用し発展、都市形成をしてきた様々な産業や文化を体感したくて国内外を旅行し、たくさんの人と話し、働き方と暮らす場所の選択に関わる仕事もしてきた。

 各自治体から企業誘致の相談や、地域進出を検討している企業からの相談も受けてきた一方で「自分が暮らしたい場所で働きたい」という個々人の相談も相当数受けてきた。進学や就職で地元を離れる人や、遠方出身の人との結婚も増え、人材の流動化や生き方の選択肢も格段に増えた。選択肢があり、選択肢がない、という状態は、人を本当に悩ませる。何でもは無理だ、何かは我慢するかリスクをとるべきだ、という考えもよくわかる。ただ現実は、子どもの学校教育、配偶者の仕事の関係、親の介護など、家族単位での選択となり、複雑な人間関係や経済状況も相まって「仕事の中身ややりがい」の優先順位を上げることは相当に難しい。

 結局、物理的な場所に縛られてしまう。のだけれど、今回在宅で一部の仕事、学校教育も可能であることが、広く知れ渡ってしまった(一部の人たちは元からそれが当たり前なんだけど)。例えばIT企業やコールセンターなどが、地域に進出し場所を構えその地域の人だけを雇用しなくても技術的には運営可能となった。オンラインで高度な教育が受けられれば、学校を理由に住みたい街を考えなくてもよくなった。もちろん全て良し悪しもありリアルorオンラインの二元論ではなくグラデーションであり、雇用も教育も法律や税金問題あり、マネジメントも変わらなきゃなので一気には難しいが「可能であると多くの人が体感した」のは大きいと思う。あらゆる価値観が揺らいでいる。揺らぎは余白である。

コロナでより先が見えない中、個々人はこれまでの「暮らし・仕事・教育のセット」から、どこで物理的に暮らしたいかが重要なファクターになる人は増えると思う。ちなみに暮らし方でも、多拠点・アドレスホッパーも登場し、またオンラインで関係人口も増えてきている。

つまり、地域に居ながら地域の恵みを享受しつつ、世界中で学び・働き・関わることができるハイブリッドな暮らし、、、

 

、、ができるかは、これからの地域に暮らす、または暮らそう関わろうとしている人のチャレンジかかっている。東京は密過ぎてローカルに人が回帰すると言われたり、実際に希望者は増えているが、経済の実態がローカルに分散するとはやはり考えにくい。実際いくつものPE(プライベート・エクイティ)ファンドは爪を研ぎまくって東京や海外からローカル企業を狙っている。その街の暮らしが豊かであり好きであるのであれば、どうしたらその価値を持続することができるのか、地域の主体はどこに向かうのか、これまで以上に知恵を絞ってイノベーティブな活動が求められている。

と、最初グローバルIT企業で働きつつも、地域に暮らす選択をした自分に、超超自戒を込めてはっぱをかけて。これからも自然に囲まれて美味しいものをいただいて、みんなと幸せに暮らしたいもん。

手を繋いで、砂場に戻ろう。

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女子中学生が2人で手を繋いで飛び降りというショッキングなニュース。人間関係で悩んでいたらしいけれど、一緒に手を繋ぐお友達が一人でもいるのであれば、もっと他にあったのでは。飛び降りるために繋ぐ手があるんじゃないんだよと、多くの人が悲しんでいると思います。

子どもの世界でも大人の世界でもいじめはあるし、理由も程度もさまざまですが、独特の同調圧力が影響しているのも大きいですよね。己の中に無意識にある「異端」に違和感を感じ、からかい、特殊扱いをする。下に見る場合もあれば、秀でている場合は足を引っ張ったりもする。子どもも大人もその辺は結局同じ。というか世の中大人のパワーゲームだらけだし。
日本の学校は「道徳」や「人権」というもとで「平等=(何から何まで)同じである」と学んでいる気がして、「どんなに異なっていても等しく尊い」という多様性の根本を日常の中で実践的に学ぶ必要があると思います。丸ごとおんなじに教育して働いて良かったのは過去の時代なんだけど、その人たち(わたしも含む)が今、親であり大人達なので、あらゆる社会システムを、子どもの教育をも柔軟にすることがよくわからない。だから無用なからかいや、保育園死ねとか就活で死ねとか、今回のように人と違うことで自ら人生を終える人とかが、なくならないのだと思います。

多様性(ダイバーシティ)を学ぶことは、LGBTをファッションのように理解したり、フェミニストになることではなくて、まずは自分の育った環境で形成されているバイアスに気付き続け、解放し続けること。そして自分をマジョリティ側に常に置くのではなく、相手を思いやることだと思います。一人でも多くの人が、何にも自由を奪われずとらわれず、幸せを感じられますように。

子どもの頃に、何も気にせず相手を思いやり、手を繋いで砂場で遊んだことを思い出そう。


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育休と海外留学と人事評価と、金太郎飴。

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東京大学の中原淳先生のブログ「海外勤務から帰ってきた人が「離職」する理由とは何か?」を読んでいたら、以前、人事制度構築をサポートした企業でのある男性管理職の一言を思い出しました。その会社は、いわゆる年功序列型の人事制度で、育児休職者や復帰後の人事評価について議論をしていたのですが、日本企業に多い、育児休職中=仕事をしていない=スキルアップしていない・成長していない=評価は据え置き=同期から遅れる、という定説に対し、「じゃぁ、会社の研修派遣で海外留学とかはいいの?仕事に直結しないのに評価上がるじゃん(笑)」と、投げかけたのです。私自身は外資系出身なのでそう思っていますが、年功序列型で留学経験のあるエリート管理職の口から出たことにとても驚きました。

その会議は、いわゆる長期傷病者やハンディキャップを持った方などの評価の在り方にも及んだのですが、つまりは多様な状況の社員が前提での「評価軸を会社が定めていない」→「人事評価する権限者も評価の方法がわからない」→「そしてそれで会社組織が(何とか)成り立っている」に尽きると思います。既存の人事評価の手引きは、金太郎飴が順調に育つための物差しにすぎません。

中原先生のブログにある海外勤務は規模の大きな仕事かもしれませんが、今まで自社の評価軸の世界観しかなかった人が、他の新しい評価軸や世界観に出会い、その後の自分の仕事の向き合い方に迷う部分は、海外勤務後も育児休職復帰後も同じだと思います。最近ますます育児休職からの復帰者に対するフォローアップについての研修など行う機会が増えていますが、参加者の顔ぶれによってはこの海外勤務の話も必ずさせていただいています。そして大いに混乱し悩んでもらっています(笑)

子育てからの学びはとても大きいと仰る方も増えました。優秀な人材獲得のためにも、子どもを社会で育てる文脈からも、育児休職時も100%手当を支給する企業まで現れ始めました。どの企業もそのようになるべきとは思いませんが、改めて自社の人事評価を、育児に関する部分だけではなく、じっくり検討する時期に来ていると思います。

金太郎飴用の人事評価制度を変えるのは、このタイミングしかないと思います(^O^)/