まなび、そして脱ぎ捨て、の繰り返し

light
何の写真に見えますか? そうお部屋のシーリングライトです、普通の。

先日1歳3ヶ月の甥っ子とベットにごろんしてたら、天井を指差して「しー、しー」と言うので何だろうと思ったら、アルファベットのC(よぉく見ると、、)と訴えてきた。気づくのに暫くかかった私。1秒でもママが見えないと大泣きするまだ赤ちゃんだけど、視覚認識が発達してて、1〜9、あいうえお、ABC、色の判別、主な食べ物、動物、乗り物、そしてアンパンマンの各キャラクターは言えるように。ライトはライトにしか見えない私と赤ちゃんの差。おばばか2019投稿はこれくらいにして。

純粋に「学ぶこと・知ること」の素晴らしさと幸せを信じてる前提で。人は赤ちゃんから死ぬまで(無意識を含めて)インプットし続ける。年齢とともに、知識の幅も量も質も体積が増え、そこに年月という時間軸が加わり、時にそれらは「先入観」「固定概念」「思い込み」「頑固」になっていく。というか、本人やその周りの人にとっては違和感がないことが、軸が違う人たちから見ると違和感がある。ジェネレーションギャップとか。

私は個々人の知識と経験を「色んな」モノサシでなるべく丸ごと掴み、違う軸の他者他社にその価値を編集し伝える仕事でもある。テキスト情報(学歴・社歴役職・家族情報など)はいいとして、考え方やマインド、スタイル、モチベーション、興味、カルチャー、ライフスタイルなどは、本人でもマスにおける自己認識・表現は難しい。そして個々人より、全体最適を求める組織の方がもっとモノサシの種類が乏しいので、もったいないほどにふるい落されてしまう。だからこそ私は色んな人の話を聞くのが心から好きで楽しくもある、そのギャップを埋めるためにも。そして私自身がインプットし続けないとお役に立てない、ひゃー(>_<)

学び、自分を通じてアウトプットし、そして脱ぎ捨て、を繰り返して、するする脱皮しながら未来に進んでいる人を見ると、うんと年上の人でも素敵だなぁと思う。逆に20代でもそれまでの学びに固執して詰まっている(のか強がっているのか・・そんな時期も必要な気もしないでもないけど)は、もっと面白い世界あるよって。 ましてや権力系のバブル〜団塊の世代で頑固な人たちは、そしてそんな人たちが集まっている組織は・・・赤ちゃんや孫育てしたほうがいいと思う! そしたらシーリングライトを、Cと読める日がくると思う。そしたら社会はもっと面白くなるよ〜!

おまけ
赤ちゃん本部長
https://babymofu.tokyo/_tags/%E8%B5%A4%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E6%9C%AC%E9%83%A8%E9%95%B7

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