「いいね!」は欲しいし、自分と同じマインドや一体感がある環境は心地いいですよね。価値観やライフスタイルの多様化のいま、本来それは、自分とぴったり同じような人が減るということ。なのにどちらかというと社会はテーマごとに「共感し合う」ことを無意識に押し付け、多様性をむりやりセグメント化、タグ付けし、順列をつけて、必要以上の社会的弱者を作り出し続け、敵対させ続ける構図etc 、、そんな気がします。

ダイバーシティ「&インクルージョン」をもっと。私たち日本人はきっと「同じである」ことがスタンダード過ぎて慣れ過ぎて、多様な価値観との向き合い方がまだわからないのだと思います。私もそう。制服・年功序列・終身雇用、ロールモデル、生き方etc、全てに王道や正解があり、それ以外は横道や「間」違いなんですよね。

ようやく、いわゆるマイノリティと(勝手に)タグ付けされる人たちが、様々に炙り出されているフェーズですが、その先はマイノリティとしてではなく、それぞれが「違いを受け入れ合うこと」だと思います。そこに無理して共感はいらない、できないし。例えば私は男性でも外国人でもない、まだ母親でもないし、若者でも高齢者でもないから、当事者のように共感できない。その大前提にたった上で初めて対等な人間関係がスタートすると思います。

相手を征服しない、同調圧力で覆わない、自分の全てを理解されなくて当然、そこには常に余白があって、だから予期しないロマンやワクワクや、イノベーションが起こる。そこに気づくことができるか、それは自分や組織を絶対視し過ぎるのではなく。

色んなセグメントやタグを越境している人はそこに気付きやすいですよね。

弱いことを受け入れている人はそれだけで十分強い、そしてとても優しい。
たくさんの好奇心と豊かな想像力、そしてちょぴりの勇気。
そのインクルージョン(=余白)を持った人であれば、どんなにセグメントや言語や考え方が違っても、豊かな信頼関係ができると思います。そういう人に会うたびに、素敵だなぁ楽しいなぁと思って、自分を振り返っています(^o^)