”女性”の視点とか、もううんざり!という気持ちが、
廻りめぐって何重にもまわって、最近また少しうんざりしています。
社会システムや環境、個々人の意識や価値観にこれだけ開きがある中で、
ダイバーシティと一口にいっても、全く共通言語ではありません。
例えば、ダイバーシティを、性別の問題として捉えた場合、
最初の出発点が、「男と女」のセグメントから抜けきれないと、
”女性は””女性の視点は・・”となっていきます。
しかし、それが進むと、今度は
「”女性”とひとくくりにしないで欲しい!」フェーズが発生します。
例)会議にて
部長 「それでは、A係長(男性)の意見はどうかね?」
「では、B課長(男性)は?」
「なるほど、それでは女性の意見も聞いておこう。(Cさん)どうかね?」
Cさん 「(女性であれば私でなくても誰でもいいのね・・・)えーっと、、」
よく、男性管理職から、このように混同する声を聞きます。
「女性の意見を聴けって言うから聞いているのに、今度は”女性の”意見を聞くなと言うのか?」
そうではない。
行きつくところは、何の属性でもない自分自身。
そう、自分を持たないと、本当の意味での多様性は存在しない。